小説の記録

ちょっとした感想の記録

姑獲鳥の夏

今回はミステリーでおすすめと聞いた『姑獲鳥の夏』を読んでみました。とりあえず序盤の印象に残ったところを載せておきます。あまり本筋とは関係ないところの感想ですが(笑)

 

久遠寺医院の娘の久遠寺梗子は二十ヶ月もの間身籠ったままだという噂がある。その夫である久遠寺牧郎は一年半前に密室から消え、失踪してしまったらしい。古本屋にして陰陽師京極堂中禅寺秋彦)がどう事件に関わって行くのか。話は友人の関口巽京極堂を訪ねるところから始まる。

 

最初の頁をめくると姑獲鳥について書かれていて一瞬読みづらそうと感じたましたが京極堂関口巽のやりとりが面白く、どんどん引き込まれて頁をめくる手が進みます。関口巽の疑問に答える京極堂の話が言い得て妙なのです。古本屋でのこの時間が、どう表現すれば良いのか、とにかく良い雰囲気というかなんというか。

話の序盤、京極堂が常識について語る文があります。ですがその前に、アインシュタインの「常識とは18歳までに身につけた先入観のコレクションである」という言葉を聞いたことがあると思いますが、これを聞いたときは確かにそうだなと思った記憶があります。しかし、ある程度の常識がないと世の中は回らないのでは?とも思ったので常識とは全てが先入観ではなく、半分くらいは共通認識でもあるのでは?と思いました。まあ、世の中を回すためだと思うのも先入観と言われたらおしまいですが……。

話に戻りますが、関口巽の「ー僕は確かに、君のいう通り陳腐な常識の範囲でしかものごとを捕らえることができないのだ。だからこうやって君のところに話を聴きにくるんじゃないか」との返答に京極堂は「〔前略〕常識だの文化だのを持っているってことは大切なことさ。ただそれは限られた範囲内でのみ有効なのであって、遍く凡てに応用できるなんて考えることが傲慢だといってるんだ」と言っています。結局のところアインシュタインと同じようなことを言っているように感じるかもしれないですが、京極堂の言葉には常識があることは大切だという前提があり、限られた範囲では有効だとも言っています。アインシュタインの言葉だと否定されたような気持ちになるのに京極堂の言葉だとスッと入ってきました。常識について語りたい訳ではないのですが京極堂関口巽のやり取りから自分も考えさせられるところが多くありなんとも言えない良さがあると思います。他にも紹介したいやり取りがありますがこの話が一番手短に紹介しやすそうだったのでこの話にしました。

ほかのやり取りが気になった方は、私の言葉で載せるのは難しそうな内容なのでぜひ読んでみてください。

全部を読んだ感想は、ミステリーとしては賛否が分かれそうな内容ではありました。語り手の目線で読むだけでは想像がつきません。通常だったらそんなことあり得るのかと思ってしまいそうですが、最初のやりとりが最後で生きてきてあり得ないと思うのになるほどと納得できます。京極堂関口巽の意識の話なんかは重要なやりとりだったと思います。結末としては悲しい結末ではありますが、嫌な気持ちにならなかったのは不思議です。シャーロック・ホームズアガサ・クリスティのようなミステリーとは違ってまた面白かったです。本は分厚めではありますが、まだこんなあるのかと途中で思うこともなくどんどん読んでしまう引き込まれる話でした。